当たり前だけれど、意識や感情は目にみえない。
自分の中だけにある。
外に出さなければ誰もわからない。
外からはなにも見えてない。
けれど人は1日に最大でおよそ35,000回の決断をするらしい。
それだけ自身と対話しているんだろう。
それを具現化したい。
自分の中でのそういったささいな対話を
目に見えるようにしてみたい。
そう思った。
幸いにも現代はそのためのツールがゴマンとある。
迷うほど。
これをやることで何の意味があるのか。
正直わからない。
なんの意味もないかもしれない。
だが、こういう衝動は大事にしたい。
自分の中でそう決めている。
意味があるのか?を考え始めるのはよそう。
そこで終わってしまうから。
だからそこは考えない。
例外はある。
やらなければならないとか頼まれごとは別だ。
これをやることは自分にとって意味があるのか、
なるべくなら考える。
今回のはそうじゃない。
自分の中から出てきたものだ。
とりあえずやってみることを大事にしている。
これからもそうしていきたい。
思いついただけ。
それで終わらせるのは少し寂しい。
きっと必要なことなんだろう。
それくらいにして、
とりあえずやってみることにする。
意味は後づけでいい。
初期衝動
この言葉を聞くと思い出すのは高校時代。
友人が貸してくれたCDに衝撃を受けた。
さくらの唄/Going Steady
初めて聴いた感想は なんじゃこりゃ?
ふるえて心が動かされたとかそういう類いじゃない。
単純なる なんじゃこりゃ?
中学時代はヴィジュアル系と呼ばれるジャンルばかり聴いていた。
4年離れた兄の影響だ。
当時聴いていたジャンルにはそれぞれ独自の世界観があった。
綺麗なもの切ないもの殺伐としたものそれぞれに尖っていた。
その感覚を持って聴いたゴイステの音楽はカオスだった。
世界観を形容しがたい。
カオスなのだ。
メチャクチャ、なんかメチャクチャ。
そんな感じだ。
なんじゃこりゃ そう言ってとりあえず手持ちのMDに録音した。
ダウンロードではなく、録音。
この言葉はなんだかとてもクラシカルな響きに感じる。
少し話が逸れた。
そうして早々にCDを友人に返却した。
よくわからないとかこれのなにがイイんだとか
手前勝手な言葉をつけ添えた気がする。
しばらく放置していた。
ふと気が向いた。
聴いてみた。
そうして聴いたソレはこないだ聴いたソレとは別物だった。
もちろん音楽は同一だ。録り間違えた訳ではない。
何かスイッチの入る感覚があった。
ソレを聞く自分のなにかが変化してたんだろう。
そこには青春時代とかそれくらいの時期の
何かモヤモヤするものを感じた。
それがドカンと目の前で爆発してる感覚。
けして綺麗じゃない。
けれど激しい裏で繊細な感じもする。
当時はそこまで細かく考えてはいなかった。
振り返って形容すればそんな感じだ。
そこに自分とよく似たものを見た気がした。
あ、同じなんだな。
初めて聴いたときは変に背伸びをしていたんだろう。
とても素直で現実味を感じた。
自分の理解がようやく追いついた瞬間だ。
高校時代、就職して間もなくの頃。
あの頃はただ騒いでるだけで楽しかった。
そのことになんの意味があったのか。
未だによく分かってはいない。
“僕たちは振り返れない青き初期衝動”
収録曲GO FOR ITの一節。
あの時と同じ行動はできない。
特段それを寂しいとかも思ってはいない。
友情とか青春とかいう実態のないもの。
そういう目に見えないもの。
もしかしたら自分しか感じてないもの。
そんなのを形にできたら。
それを見た誰かが、自分もそうだよとか違うよって。
しやすくなるんだと思う。
だからとりあえず、日常を言語化してみようと思う。
意味があるかどうか分からないけれど。
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